旅行記その2となる本記事では、2日目について書いていきます。
その1:新千歳空港→東滝川→旭川
その2(本記事):旭川→雄信内→南稚内
その3:coming soon...
その4:coming soon...
※太字はこの旅行の目的地=今春に廃止される駅
雄信内を歩き回る
みんな大好き、比布(ぴっぷ)駅。かなりブレているのはお許しください。

名寄で後ろ1両を切り離し、ここから終点の稚内までは1両編成で進みます。

30分ほど停車時間があるので駅の外に出てきました。

旭川から4時間ちょっと、宗谷本線で唯一のトンネルである下平トンネルを抜けると、この旅で2つ目の目的地、雄信内(おのっぷない)に到着です。漢字のカッコよさと読み方の可愛らしさとのギャップが萌えポイントですよね。



駅舎の中にはたくさんの写真が貼ってあり、中には去年の秋には開業99周年を祝って白寿祭が行われた時の写真もあります。ぎりぎり100周年を迎えられずに駅としての役目を終えるこの駅は、1925年7月に、国鉄天塩南線が問寒別から幌延まで延伸した際に開業しました。「雄信内」の地名の由来は、「o-nup-un-nai」(川尻に・原野・のある・川)であると言われています。雄信内駅の平均乗車人員は0.2人/日と極端に少なく、2021年以降は駅のある幌延町が維持管理費用を拠出していました。この駅も昨日訪ねた東滝川駅と同様、駅が廃止された後でも信号場としての機能は残るそうです。
※雄信内駅の乗車人員はJRの調査資料記載の、2023年までの5年間の特定日調査に基づく乗車人員平均を参照

「タンタシャモナイ」の由来は「tanta-sam-o-nai」(今・和人・いる・沢)とされており、幌延町内では比較的早い時期から入植がはじまった地域のようですが、川の前後で山が張り出している地形であるため、当初は天塩川の対岸まで船で渡るほかにアクセスのしようがない場所だったんだとか。現在のタンタシャモナイ地域からは、川に沿って架けられた下平橋(詳細は後述します)を通って雄信内駅の方まで道が続いています。

雄々しく興隆することが期待されて、かつては賑わいを見せていた時期もあった雄興地区ですが、2020年の国勢調査によると字雄興には2世帯5人が住むのみとなっており、駅から見渡せる範囲はすっかり寂れてしまっています。この駅の近くで人が比較的多く住んでいるのは、町境を越えて天塩町の雄信内、東雄信内、西雄信内の方で、2020年の国勢調査によると合わせて77世帯155人が住んでいます。せっかくなので、そちらの方まで歩いていきましょう。

橋の上から天塩川を眺めると、川が真っ白に染まっていて、しかもその上を動物が通ったらしい足跡が残っています。この白い道の形成過程については、NHKのWEBサイトできれいな写真と一緒に紹介されているのでぜひ見てほしいのですが、手っ取り早くまとめると、上流から流れてきた細かい氷の粒や過冷却水が、流れの緩やかな下流へ行くにつれて塊になっていって、河口近くで詰まって溜まっていくことで、このように川が氷で埋め尽くされるようです。天塩川沿いにある中川町では、川を覆う氷がいつ押し流されるのかを当てる「解氷日時予想クイズ」というのを毎年行っているらしく、今年は3月13日の朝方に氷が開かれたそうです。

因みに、ここで東へ曲がってしばらく進むと、「辰子丑」(たつねうし)という干支が3つも含まれる地名があります。
国道40号を西へ進み、途中で雄信内1条通線へ入ってしばらく行くと、雄信内川に差し掛かります。ここも読み方は「おのぶない」です。「雄信内」の由来は「川尻に原野のある川」ですから、よく考えてみると「雄信内川」は「川」って2回言っていることになりますね。雄信内川を渡って天塩町雄信内に入ります。






国道40号沿いに出ると、ダンディ公園というなかなかに特徴的なネーミングの公園が。雄信内の「雄」や、南の方に行くと「男能富」(だんのっぷ)という町名もありますから、その辺からの連想でしょうか。
ふと看板を見ると、内陸なのに21km先にある海浜公園の案内が、当然のように掲げられています。


もともと雄信内駅東側の線路は現在よりも天塩川に近い場所を通っており、川に沿うように陸橋が設けられていたのですが、雪崩や地滑りなどが相次いだことから1965年に総延長1,256mの下平トンネルが完成、旧線路跡の一部は町道として転用されたのでした。この町道の途中で川に沿うようにして架けられた橋が下平橋です。
1時間50分の滞在で駅周辺を見て周るのは少々時間にゆとりがありませんでしたが、その次の列車を待とうとすると6時間の滞在になりますから、どちらが良かったのでしょうね……。
返って戻って最北へ

※咲来駅の乗車人員はJRの調査資料記載の、2023年までの5年間の特定日調査に基づく乗車人員平均を参照

木造駅舎が特徴的だった雄信内駅と違って、こちらは待合室がちょこんとあるだけのこぢんまりとした駅です。

「咲来」という地名は「sak-ru」(夏・道)から来ていて、古くから夏の時期にオホーツク海の方に出る交通路があったことに由来するそうです。パンケサックル川に沿って傾斜を上がり、咲来峠を越えて、北見幌別川に沿って傾斜を下るルートということなので、現在の道道220号歌登咲来停車場線と道道12号枝幸音威子府線の一部が、その道筋に近いでしょうか。

音威子府に来たからにはそばを食べたいなと考えながら地図を見ていたところ、咲来そばのお店を発見。ちょうど良いと思って向かってみたのですが……

あれ……?

本日、お休みらしい……。残念。
仕方ないので咲来の住宅地をうろちょろしていたら、小学校らしい建物が見えてきました。明治のころに開校し2007年に閉校した咲来小学校で、現在は咲来公民館として使われているようです。

駅まで戻ってきましたが、まだ次に乗る列車まで1時間弱もあります。しかしそろそろ足が疲れてきたので、あとは待合室でゆっくりするとしましょうか。宗谷本線名寄~稚内間の輸送密度は252人/(km·日)で、頑張れ宗谷本線と書かれた掲示物がいくつも貼られています。
※宗谷線名寄~稚内間の輸送密度はJRの調査資料記載の、2023年度の輸送密度を参照



音威子府村の広報誌が置いてあるので、これを読みながら次の列車を待ちます。広報誌では、村内唯一の小中学校である音威子府小中学校での教育活動についてよく取り上げられている印象を受けました。
乗ってから一駅ですが、この列車はなんと音威子府でおよそ1時間も停車します。つまり、途中下車しない手はありませんね。


2024年の住民基本台帳によれば、音威子府村の人口は636人で、北海道で最も人口の少ない市町村です。村内に所在するおといねっぷ美術工芸高等学校が村外の高校生も受け入れており、その生徒が寮に入ることもあるため、15歳~19歳が120人と突出して多くなっています。しかしそのほとんどが卒業後は村外に転出してしまうため、20歳~24歳の人口は19人と激減してしまいます。このことを問題視して、どうしたら高校生を村に引きとどめられるか考えよう、みたいな話し合いもさきほど咲来駅で見た広報誌に載っていた気がします。
駅を出てみるとバスが2台停まっていました。



音威子府駅は、1989年まで浜頓別を経て南稚内へ至る天北線が発着する交通の要衝でした。これが廃線になった後は宗谷バスが代替バスを運行していましたが、2011年からは鬼志別~声問が内陸経由から北海道本島最北の宗谷岬経由に変更され、2023年に音威子府~浜頓別がデマンドバスに転換されました。もう1台は宗谷バスの都市間バスで、札幌または旭川から音威子府を通って小頓別、歌登を経て枝幸までを結ぶ特急えさし号と、旭川から音威子府を通って中頓別、浜頓別に停まって鬼志別へ至る特急天北号がここに来ます。
駅の周りをふらふら歩き回ります。音威子府村役場の前まで行ってきました。

駅のすぐ近くには道の駅おといねっぷがあります。時間がないので外観を見るだけしかできません。

音威子府駅に戻ってきました。今度こそ、宗谷本線で最北を目指します。



宗谷本線は、起点のある旭川市街にしか乗換駅がない、孤高の路線の終点です。

ホーム上には、稚内駅から諸々の駅までの距離が掲げられています。東京駅までは鉄道で1,547.9kmであるのに対して、鉄路における北海道の玄関口こと函館まではそのおよそ半分、道都・札幌まではおよそ4分の1、道北の中心地である旭川まではおよそ6分の1に相当する距離があるそうで、改めて北海道デカすぎないか!? を感じさせられます。




最南端のJR通過自治体の代表駅である指宿駅、最南端のJR駅である西大山駅、最南端のJR路線の終着駅である枕崎駅までの距離は東京駅までの距離のほぼ2倍で、東京が本土四島の真ん中らへんにあることが確認できます。



本土四島の最南端の鉄道路線はJR指宿枕崎線ですが、こちらも起点のある鹿児島市街の他に乗換駅が一つもない孤高の路線で、その指宿枕崎線の終点がある枕崎市は稚内市と友好都市を締結しています。そのほか、日本最北端の市である稚内市は、日本最南端の市である石垣市とも友好都市を締結しています。

駅舎はキタカラという複合施設になっていて、道の駅わっかないなどが併設されています。


1922年の開業当初はこちらが稚内駅で、場所も1kmほど北西寄りの位置に頭端式のホームを構える駅でした。1928年には現在の稚内駅にあたる稚内港駅が開業しましたが、そこへ向かう線路は初代稚内駅(現・南稚内駅)から少し手前に戻って分岐する形をとっていました。その後1939年に両駅が現在の駅名へと改称され、1952年に南稚内駅が現在の位置に移されました。
夕飯で何を食べようかと調べていたところ、地元のソウルフードでチャーメンなるものがあるらしいと分かったので、食べにきました。私が食べたチャーメンはイカ、エビ、ホタテの入った海鮮あんかけ焼きそばに似た食べ物で、餡がよく絡んで美味しいです。

3日目は、「行って返ってまた戻って」作戦で、今春廃止される南幌延と抜海を回収した後、札幌へ向かいます。そして4日目、ついに道東へ向けて動き始める――
その1:新千歳空港→東滝川→旭川
その2(本記事):旭川→雄信内→南稚内
その3:coming soon...
その4:coming soon...
※太字はこの旅行の目的地=今春に廃止される駅
雄信内は個人的に大好きな駅名で、私が地名に興味を持つようになったきっかけ、ひいては地理に興味を持つようになったきっかけとなった地名の一つです。今回の旅行を計画したのも、もとはと言えば雄信内駅が無くなる前に訪問しなかったらきっと後悔すると思ったからで、もちろん他の訪問先のいずれも魅力的な場所ですが、私の中では今日が一番の目玉でした。そのためつい喋りすぎてしまいましたが、3日目以降はもうちょっと短くなると思われます。ここまで長文を読んでいただきありがとうございました。











































































