皆さんこんにちは。
最近少しずつ涼しくなってきましたが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。2か月に及んだ夏休みも終わり、10月からいよいよ秋学期が始まります。私はこの秋授業をいっぱい詰め込む予定なので、何とか身を滅ぼさないように頑張りたいと思います。
さて、本シリーズでは我々の大学の所在地であると同時に、日本最大の科学都市として名を馳せる*1茨城県つくば市を探検します。皆さんはこの街のことをどこまで知っていますか?

あれから1年、どういう縁か筑波大学で学ぶ機会を獲得し、そしてただ流されるままに地理愛好会に入会して今に至ります。地理愛好会に出会えたことも含めて、毎日が新鮮です。本当に筑波大学に来て良かったと思います。
本シリーズの最初となる今回の記事では、つくば市を探検する前に知っておくべき予備知識についてまとめていきたいと思います。長い記事になりますが、最後までお付き合いいただければと思います。
1. つくば市のこれまで
1.1. 研究学園都市の建設背景
元来、つくば市は筑波郡谷田部町、筑波町、大穂町、豊里町、新治郡桜村、稲敷郡茎崎町の6町村に分かれていました。農業を主産業としたのどかな地域でしたが、国の都市建設計画により、1970年代以降大きく変貌を遂げることとなります。この都市の名前を「筑波研究学園都市」と言います。
筑波研究学園都市は、高度経済成長期下で人口が集中し様々な都市問題が続発していた東京の一部首都機能移転を目的として建設された、現代日本では他に類を見ない大規模な計画都市です。研究学園都市建設の根拠となった1961年の閣議決定では、次のような提言がなされています。
...話が逸れました。
とにかく、先述した経緯によって東京都外に研究学園都市が建設されることが決定しました。移転の候補地は富士山麓、赤城山麓、那須高原、筑波山麓の4つだったとのことです。それぞれ山梨県/静岡県、群馬県、栃木県、茨城県なので、東京都だけではなく、いわゆる一都三県を避けた立地であるということが分かります*2。
1.2. 研究学園都市が筑波に
1963年の閣議了解により、研究学園都市の建設地が決まりました。
こうして筑波の地に研究学園都市が建設されることが決定し、翌月、首都圏整備委員会は基本計画として北に学園地区、南に研究団地を配置するNVT(Nouvelle Ville de Tsukuba(仏):筑波ニュータウン)案を提案しました。しかしこれはベースマップから旧谷田部町と茎崎村の既存集落が全面買収されるような配置であることが読み取れたため、地元民の猛反対に遭います。茨城県や整備委員会、住宅公団は反発を抑えるのに苦心しますが、各マスタープランを経て計画が徐々にブラッシュアップされていき、それにつれて土地の取得も進んでいきました。最終の第4次マスタープランでは当初案と比べて土地が南北に狭められ、さらに計画面積が2,700haに縮小されており、これがそのまま現在の研究学園都市の姿となっています。
最終的に筑波地区に移転または新設される国の機関は43機関にのぼりました。1972年3月の科学技術庁無機材質研究所の移転完了を皮切りに次々と研究機関が完成し、1980年3月に全機関の移転新設が完了。これをもって筑波研究学園都市は「概成」しました。
一方、第2次マスタープラン以降研究学園都市の中心的な存在と位置付けられた「大学」については、1967年に当時の東京教育大学が条件付きで移転する意向を示し(国土技術政策総合研究所(2015))、筑波移転反対闘争などを乗り越えて1973年に「筑波大学」が開学しました。今日私たちが通う大学はこのようにして生まれたのです。

筑波大学
また、1985年に筑波の地で「国際技術科学博覧会」が開催され、2,000万人を超える入場者を集める大成果を収めました。この科学万博により、科学技術に対する国民の理解を深めるとともに、「筑波研究学園都市」の知名度を向上することに成功しました。
大きな懸案事項であった対東京の交通問題については概成後数年間進展せず、陸の孤島と称される期間が続きましたが、1987年に高速バス「つくば号」が運行開始したことで一定程度解消しました。さらに1985年国の運輸政策審議会において「常磐新線(東京 - 筑波研究学園都市)」の新設が言及されたのを契機に鉄道開業の話がとんとん拍子に進み、概成後25年経った2005年に「つくばエクスプレス」が開業しました。つくばエクスプレスの開業は筑波研究学園都市のプレゼンスの向上に寄与しただけでなく、中心地区の再開発や周辺開発地区の都市機能整備、特に住宅開発を促進するなど非常に大きな効果をもたらしました。このようにして、今日の筑波研究学園都市が出来上がったのです。
本シリーズでは、概成後40年経った筑波研究学園都市の姿を、「どのような景観が作られ、維持されているのか?」および「どのように都市が更新・再整備されているのか?」という点を考えながら追っていきたいと思います。
2. 探検にあたって
筑波研究学園都市は想像以上にとんでもなく広い都市です。国土交通省のWebサイトに分かりやすい図があったので、以下に引用させていただきます。

山手線と研究学園地区の比較
ご覧の通り、筑波研究学園都市の一部、研究学園地区だけで山手線の運行地域と同規模となっています*3。本シリーズではこの広大な都市をくまなく探検するため、1つの「街」および「通り」ごとに記事を書いていきたいと思います。どこまで記事を出せるか分かりませんが、可能な限り頑張っていきます。
3. まとめ
「日本最大の科学都市・つくばを探検する⓪はじめに」いかがでしたでしょうか?今回の記事では筑波研究学園都市の建設経緯と、今日に至るまでの発展の歴史を紐解くことができました。次回からは実際のつくば市内の様子をお届けしたいと思いますので、ご覧いただければ嬉しいです。
ご視聴ありがとうございました。
最近少しずつ涼しくなってきましたが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。2か月に及んだ夏休みも終わり、10月からいよいよ秋学期が始まります。私はこの秋授業をいっぱい詰め込む予定なので、何とか身を滅ぼさないように頑張りたいと思います。
さて、本シリーズでは我々の大学の所在地であると同時に、日本最大の科学都市として名を馳せる*1茨城県つくば市を探検します。皆さんはこの街のことをどこまで知っていますか?

つくば駅
静岡県出身の筆者が初めてつくばに訪れたのはちょうど1年前のこと。それまで私は都会への憧れからよく関東へ遊びに出かけていたのですが、行き先は横浜や海老名など神奈川県の諸都市、あるいは東京でも山手線の西側や南側の街がほとんどで、秋葉原から北東に60km離れたつくばについては名前だけ知っている謎の街としか思っていませんでした。1年前、期待と不安を胸に抱きながらこの街を歩き、なぜか懐かしい感情が芽生えたのを覚えています。静岡で生まれ育った私には実に不思議な経験でした。本シリーズの最初となる今回の記事では、つくば市を探検する前に知っておくべき予備知識についてまとめていきたいと思います。長い記事になりますが、最後までお付き合いいただければと思います。
1. つくば市のこれまで
1.1. 研究学園都市の建設背景
元来、つくば市は筑波郡谷田部町、筑波町、大穂町、豊里町、新治郡桜村、稲敷郡茎崎町の6町村に分かれていました。農業を主産業としたのどかな地域でしたが、国の都市建設計画により、1970年代以降大きく変貌を遂げることとなります。この都市の名前を「筑波研究学園都市」と言います。
筑波研究学園都市は、高度経済成長期下で人口が集中し様々な都市問題が続発していた東京の一部首都機能移転を目的として建設された、現代日本では他に類を見ない大規模な計画都市です。研究学園都市建設の根拠となった1961年の閣議決定では、次のような提言がなされています。
首都への人口の過度集中の防止に資するため、各種防止対策の強化を図るべきであるが、先ず、機能上必ずしも東京都の既成市街地に置くことを要しない官庁(附属機関及び国立の学校を含む。)の集団移転について、速やかに具体的方策を検討するものとする。要は、過密な東京には必要ない国の施設を集団で移転しよう!という試みです。首都機能移転の契機として全世界で広くみられる形ですね。ただ日本の首都機能移転の試みはどうも弱く、実際今日のつくば市に移転しているのは大学と中央省庁付属の一部研究機関のみで、肝心の中央省庁自体は全く移転していません。これは、1992年に「国会等の移転に関する法律」が成立し、首都機能移転が具体的に検討された以後も同様です。2015年にようやく中央省庁の地方移転が推進されることになりましたが、結局全面移転が決まったのは文化庁(京都府)のみです。これを見ると、日本はほとんど首都一極集中を是正することが出来ていないと言えます。首都機能移転は東京という一都市だけの問題に留まらず国家構造に関わる重大な問題なので、国民の間で広くコンセンサスを取っていくことが重要であると考えます。
出典:国立国会図書館, 「官庁の移転について」,<https://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/bib01379.php>, 2021年9月22日閲覧.
...話が逸れました。
とにかく、先述した経緯によって東京都外に研究学園都市が建設されることが決定しました。移転の候補地は富士山麓、赤城山麓、那須高原、筑波山麓の4つだったとのことです。それぞれ山梨県/静岡県、群馬県、栃木県、茨城県なので、東京都だけではなく、いわゆる一都三県を避けた立地であるということが分かります*2。
1.2. 研究学園都市が筑波に
1963年の閣議了解により、研究学園都市の建設地が決まりました。
なぜ筑波が選ばれたのかという点には様々な推測がなされていますが、国土技術政策総合研究所(2015)によると、「東京から最も近い(60km程度)」「霞ヶ浦用水の利用が出来ること」「平坦な地形であること」「地元の協力が得やすいこと」が挙げられています。(出典:国土技術政策総合研究所,「筑波研究学園都市の現状と諸課題にみる都市形成過程上の問題」,<http://www.nilim.go.jp/lab/bcg/siryou/tnn/tnn0815pdf/ks081506.pdf>)1 研究・学園都市の建設地は、筑波地区とする。2 研究・学園都市の計画規模はおおむね四〇〇〇ヘクタールを予定する。3 研究・学園都市の用地の取得造成は、日本住宅公団に行わせる。
出典:国立国会図書館, 「研究・学園都市の建設について」,<https://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/bib01434.php>, 2021年9月30日閲覧.
こうして筑波の地に研究学園都市が建設されることが決定し、翌月、首都圏整備委員会は基本計画として北に学園地区、南に研究団地を配置するNVT(Nouvelle Ville de Tsukuba(仏):筑波ニュータウン)案を提案しました。しかしこれはベースマップから旧谷田部町と茎崎村の既存集落が全面買収されるような配置であることが読み取れたため、地元民の猛反対に遭います。茨城県や整備委員会、住宅公団は反発を抑えるのに苦心しますが、各マスタープランを経て計画が徐々にブラッシュアップされていき、それにつれて土地の取得も進んでいきました。最終の第4次マスタープランでは当初案と比べて土地が南北に狭められ、さらに計画面積が2,700haに縮小されており、これがそのまま現在の研究学園都市の姿となっています。
最終的に筑波地区に移転または新設される国の機関は43機関にのぼりました。1972年3月の科学技術庁無機材質研究所の移転完了を皮切りに次々と研究機関が完成し、1980年3月に全機関の移転新設が完了。これをもって筑波研究学園都市は「概成」しました。
一方、第2次マスタープラン以降研究学園都市の中心的な存在と位置付けられた「大学」については、1967年に当時の東京教育大学が条件付きで移転する意向を示し(国土技術政策総合研究所(2015))、筑波移転反対闘争などを乗り越えて1973年に「筑波大学」が開学しました。今日私たちが通う大学はこのようにして生まれたのです。

筑波大学
1.3. 発展を遂げる筑波研究学園都市
1980年の概成以前は官主導の都市開発が続きましたが、これ以降は民主導へシフトされていきます(国土技術政策総合研究所(2015))。1983年に都市軸の中心的存在として計画された複合施設「つくばセンタービル」、1985年に西武とジャスコをキーテナントとする大規模商業施設「クレオ」、また大手量販店「ダイエー筑波店」が開業し、民間商業施設が大きく都市の発展に関与することとなりました。その他にも、今日までの間に多くのロードサイド店舗が大通りの沿道に出店しています。
大きな懸案事項であった対東京の交通問題については概成後数年間進展せず、陸の孤島と称される期間が続きましたが、1987年に高速バス「つくば号」が運行開始したことで一定程度解消しました。さらに1985年国の運輸政策審議会において「常磐新線(東京 - 筑波研究学園都市)」の新設が言及されたのを契機に鉄道開業の話がとんとん拍子に進み、概成後25年経った2005年に「つくばエクスプレス」が開業しました。つくばエクスプレスの開業は筑波研究学園都市のプレゼンスの向上に寄与しただけでなく、中心地区の再開発や周辺開発地区の都市機能整備、特に住宅開発を促進するなど非常に大きな効果をもたらしました。このようにして、今日の筑波研究学園都市が出来上がったのです。
本シリーズでは、概成後40年経った筑波研究学園都市の姿を、「どのような景観が作られ、維持されているのか?」および「どのように都市が更新・再整備されているのか?」という点を考えながら追っていきたいと思います。
2. 探検にあたって
筑波研究学園都市は想像以上にとんでもなく広い都市です。国土交通省のWebサイトに分かりやすい図があったので、以下に引用させていただきます。

山手線と研究学園地区の比較
(出典:国土交通省,「筑波研究学園都市」,<https://www.mlit.go.jp/crd/daisei/tsukuba/index.html>)
ご覧の通り、筑波研究学園都市の一部、研究学園地区だけで山手線の運行地域と同規模となっています*3。本シリーズではこの広大な都市をくまなく探検するため、1つの「街」および「通り」ごとに記事を書いていきたいと思います。どこまで記事を出せるか分かりませんが、可能な限り頑張っていきます。
3. まとめ
「日本最大の科学都市・つくばを探検する⓪はじめに」いかがでしたでしょうか?今回の記事では筑波研究学園都市の建設経緯と、今日に至るまでの発展の歴史を紐解くことができました。次回からは実際のつくば市内の様子をお届けしたいと思いますので、ご覧いただければ嬉しいです。
ご視聴ありがとうございました。
*1:要出典。つくば市認知度調査やってみたいですね。
*2:もし静岡県に建設されていたら...と思うと、想像が止まりません。
*3:筑波研究学園都市は重点的に整備が進められている研究学園地区と、それ以外の周辺開発地区からなります。研究学園地区はつくば駅を中心とした都心地区、大学や公的研究機関が立地する研究・教育施設地区、住宅等が立地する住宅地区の3つからなります。


