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一般学生団体「筑波大学地理愛好会」の公式ブログです。会の活動や、会員がそれぞれ執筆した記事を投稿しています! 地理愛好会とは?→2018年活動開始。地理好きや地理を学びたい筑波大学生が集まるサークルです。全国各地への巡検や学類間交流、勉強会などを行っています。

こんにちは!筑波大学地理愛好会では、先日「国道16号一周巡検」という巡検に行きました。本記事は、そのときに会員が作成した「国道16号プレイリスト」に関する記事です。ぜひ読んでいってください。

はじめに

 突然ですが、皆さんはドライブ中にどんな曲を聴きますか?好きな曲を聴いたりする人もいれば、流行っている曲を流したりする人もいると思います。流れた曲をもとに話題が広がったりするのも、ドライブの醍醐味ですよね。

 このように、ドライブに欠かせない「プレイリスト」についてですが、是非皆さん、「ドライブの行き先にまつわる曲」でプレイリストを作ってみませんか?地理愛好会で行われた「国道16号一周巡検」で、筆者は実際に国道16号にまつわるプレイリストを作ってみたところ、とても面白いなと思ったので、共有したいなと思いこの記事を書くことにしました。

「国道16号一周巡検」とは

 「国道16号一周巡検」とは、地理愛好会の「道路走破班」にて昨年11月に行われた巡検です。内容はその名の通り、関東地方にある国道「国道16号」を車で一周してみようというものです。
 国道16号とは、神奈川県、東京都、埼玉県、千葉県を通り首都圏を一周する、総延長約330㎞の国道です。地理学的に見ると、沿線の景観は日本の首都圏郊外を象徴するものとされており、国道16号を対象とした解説書も多数あります。また、関東の主要な地域を多く通過する国道でもあり、様々なまちに触れるきっかけになる道路でもあります。
 それと実際に走ってみて思ったんですが、渋滞がかなりひどいですね…。特に昼間に通過した区間はなかなか車が進みませんでした。そんな時に音楽を聴いて気分転換をしたのも、またドライブの醍醐味だなと思いました。

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国道16号一周巡検の参考書、柳瀬博一『国道16号線‐「日本」を創った道』(新潮社)と写真をパシャリ。前には長い長い渋滞が見える。

「国道16号プレイリスト」を作ってみた

 まず、なぜ16号を題材にプレイリストを作ったかといいますと、筆者は自分で作ったプレイリストを巡検のときに流すのが好きでした。そんな筆者が巡検前日にいつものように「明日はどんな曲を流そうかな~」と考えていたところ、柳瀬博一『国道16号線‐「日本」を創った道』(新潮社)という本で国道16号沿線の音楽が面白いということを知りました。そこで、「国道16号をテーマにプレイリストを作ってみよう!」となったわけです。
国道16号プレイリスト

国道16号プレイリスト(地図)

 こちらがそのときに作ったプレイリストです。国道16号沿線出身のアーティスト、沿線を舞台とするアニメの主題歌、MVが沿線で撮られた曲…など、「国道16号にまつわる曲」を32曲厳選しました。バランスをできるだけ心掛け、様々な年代、さまざまなタイプの曲を集めました。(曲数を16の倍数にしたのも地味にこだわりポイントです。)

プレイリストをつくってよかったこと

①車窓の風景をより深く楽しめる
 このプレイリストではそのときに走っている土地に関係する曲が流れるので、土地の景観を視覚だけでなく聴覚でも楽しめました。例えば、横浜市出身のメンバーがいるsuchmosの楽曲は、都会的なサウンドが特徴的ですが、それを16号沿線最大の都市である横浜の景観になぞらえて感じることができました。また、荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」など少し昔の曲も入れたので、現在の16号でそれを聞くことで昔の沿線の景観を想像して楽しむこともできました。

②土地の文化や歴史がわかる
 歌詞やサウンドからその土地の文化がわかるのも大きな魅力です。特に市歌を入れたことで、その土地がどのように愛されているか、どのように歩んできたかがわかったのが面白かったです。
  他にも、例えばゆず「夏色」には「長い下り坂」が登場しますが、ここからも横浜市に斜面が多いという地形の特色が連想できて興味深いなと思いました。

③会話の種になる
 これはどんなプレイリストでもそうですが、流れている曲の話から会話を広げることができるのも、ドライブ中に音楽を流す魅力の一つです。そこで行先にまつわる曲を流すことで、会話からその土地のことを深く知ることができ、地理的な学びを得られるようになったのが、よかったなと思いました。
 例えば、映画「翔んで埼玉」の主題歌から映画の感想を共有し、地理学的に言うところの埼玉に対するお互いの場所イメージ・空間認知を知ることができました。

おわりに

 今回は、国道16号を音楽の視点から深めてみました。プレイリストを作ってみて、同じ郊外とはいっても地域によっていろいろなタイプの曲があるんだなということがわかりました。今後もより、国道16号沿線の文化について深めてみたいと思いました。
 そして、これを読んで16号プレイリストに興味を持った方は、ぜひドライブのときには行先の土地にまつわる曲を聴いてみてほしいです。きっとあなたのドライブに新たな彩りが生まれることでしょう。
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 2025年春のダイヤ改正で廃止される駅を巡る6泊7日の旅行、2日目の朝を旭川で迎えました。
 旅行記その2となる本記事では、2日目について書いていきます。

2025春の廃止駅ぜんぶ降りる北海道旅行記
その1:新千歳空港→東滝川→旭川
その2(本記事):旭川→雄信内→南稚内
その3:coming soon...
その4:coming soon...
太字はこの旅行の目的地=今春に廃止される駅


 この記事で移動するルートはこんな感じです。
その2で訪れる主な場所の地図



雄信内を歩き回る

 北海道旅行2日目となる今日は、宗谷本線の始発列車で移動開始です。なんとこの列車、宗谷本線259.4kmを全線走り切る超絶ロングランの普通列車です。日本一のロングラン普通列車は関西を横断する敦賀発・播州赤穂行の新快速で275.5kmですが、今から乗る列車はそれに次ぐ距離の普通列車らしいです。関東に置き換えると、前橋発・上野東京ライン経由・沼津行の列車が241.0kmですから、旭川発・稚内行の走行距離のとんでもなさが窺えます。
 みんな大好き、比布(ぴっぷ)駅。かなりブレているのはお許しください。
比布駅駅名標の写真
 名寄で後ろ1両を切り離し、ここから終点の稚内までは1両編成で進みます。
名寄にて列車切り離しの写真
 30分ほど停車時間があるので駅の外に出てきました。
名寄駅外観の写真

 稚内まで乗り通すこともしたかったのですが、特急列車を除くと幌延・稚内間は1日に3.5往復、音威子府・幌延間にいたっては1日に3往復しかありません。そんなことをしていては、廃止される全ての駅で降りるというこの旅行の目標が大きく遠のいてしまいますから、今回は断念します。
 旭川から4時間ちょっと、宗谷本線で唯一のトンネルである下平トンネルを抜けると、この旅で2つ目の目的地、雄信内(おのっぷない)に到着です。漢字のカッコよさと読み方の可愛らしさとのギャップが萌えポイントですよね。
雄信内駅駅名標の写真
雄信内駅外観の写真1
雄信内駅外観の写真2
 駅舎の中にはたくさんの写真が貼ってあり、中には去年の秋には開業99周年を祝って白寿祭が行われた時の写真もあります。ぎりぎり100周年を迎えられずに駅としての役目を終えるこの駅は、1925年7月に、国鉄天塩南線が問寒別から幌延まで延伸した際に開業しました。「雄信内」の地名の由来は、「o-nup-un-nai」(川尻に・原野・のある・川)であると言われています。雄信内駅の平均乗車人員は0.2人/日と極端に少なく、2021年以降は駅のある幌延町が維持管理費用を拠出していました。この駅も昨日訪ねた東滝川駅と同様、駅が廃止された後でも信号場としての機能は残るそうです。
※雄信内駅の乗車人員はJRの調査資料記載の、2023年までの5年間の特定日調査に基づく乗車人員平均を参照
雄信内駅駅舎内の写真

 駅を出て道道302号雄信内停車場線を西の方へ向かうと道道256号豊富遠別線に突き当たり、北に曲がって少し行くと幌延町雄興集会所が見えてきます。これに見られるように、雄信内駅周辺の住所は「幌延町字雄興」。1960年の幌延村の町制施行に先立つ1959年に、昭和34年4月23日北海道告示第573号「町の区域内の町及び字の区域及び名称」で、「地理的に今後雄々しく興隆の兆がある」ことに因んで付けられた地名です。雄興の名が付けられたのは、雄信内駅があるオヌプナイの辺りと、2001年まで上雄信内駅があったタンタシャモナイの辺りにまたがる範囲です。
 「タンタシャモナイ」の由来は「tanta-sam-o-nai」(今・和人・いる・沢)とされており、幌延町内では比較的早い時期から入植がはじまった地域のようですが、川の前後で山が張り出している地形であるため、当初は天塩川の対岸まで船で渡るほかにアクセスのしようがない場所だったんだとか。現在のタンタシャモナイ地域からは、川に沿って架けられた下平橋(詳細は後述します)を通って雄信内駅の方まで道が続いています。
雄興集会所の写真
 雄々しく興隆することが期待されて、かつては賑わいを見せていた時期もあった雄興地区ですが、2020年の国勢調査によると字雄興には2世帯5人が住むのみとなっており、駅から見渡せる範囲はすっかり寂れてしまっています。この駅の近くで人が比較的多く住んでいるのは、町境を越えて天塩町の雄信内、東雄信内、西雄信内の方で、2020年の国勢調査によると合わせて77世帯155人が住んでいます。せっかくなので、そちらの方まで歩いていきましょう。

 豊富遠別線を引き返して南へ向かい、天塩川に架かる雄信内大橋を渡ります。橋の名前を見てみると、ローマ字表記が「Onobunai」となっています。どうやら駅名以外で「雄信内」と書いた場合は「おのぶない」と読むことの方が多いみたいです。
雄信内大橋の写真
 橋の上から天塩川を眺めると、川が真っ白に染まっていて、しかもその上を動物が通ったらしい足跡が残っています。この白い道の形成過程については、NHKのWEBサイトできれいな写真と一緒に紹介されているのでぜひ見てほしいのですが、手っ取り早くまとめると、上流から流れてきた細かい氷の粒や過冷却水が、流れの緩やかな下流へ行くにつれて塊になっていって、河口近くで詰まって溜まっていくことで、このように川が氷で埋め尽くされるようです。天塩川沿いにある中川町では、川を覆う氷がいつ押し流されるのかを当てる「解氷日時予想クイズ」というのを毎年行っているらしく、今年は3月13日の朝方に氷が開かれたそうです。
雄信内大橋から見た天塩川の写真

 天塩川を渡った先は天塩町東雄信内になり、さらに進むと、東雄信内町内会館のある交差点で旭川市と稚内市を結ぶ国道40号に突き当たります。雄信内駅からここまで1.7km、車とは何度もすれ違いましたが歩いている人は見かけませんでした。雄信内の中心地へ行くにはここで西に曲がってさらに1km進む必要がありますから、確かに歩いてまで駅を利用するのはなかなか大変で、交通手段が車に取って代わられるのも仕方ないかと思わされます。
 因みに、ここで東へ曲がってしばらく進むと、「辰子丑」(たつねうし)という干支が3つも含まれる地名があります。
 国道40号を西へ進み、途中で雄信内1条通線へ入ってしばらく行くと、雄信内川に差し掛かります。ここも読み方は「おのぶない」です。「雄信内」の由来は「川尻に原野のある川」ですから、よく考えてみると「雄信内川」は「川」って2回言っていることになりますね。雄信内川を渡って天塩町雄信内に入ります。
「おのぶない川」看板の写真

 ようやっと雄信内エリアの中心地までたどり着きました。町の入り口くらいの場所にあるエーコープに入ったところ、作りたての温かいのり弁が売られていたのでありがたく購入。まちなかには家畜診療所や天塩町役場雄信内支所、駐在所、郵便局のほか、北海道新聞の販売所もあります。
エーコープ雄信内店の写真
留萌北部家畜診療所の写真
天塩町役場雄信内支所の写真
天塩警察署雄信内駐在所の写真
雄信内郵便局の写真
 国道40号沿いに出ると、ダンディ公園というなかなかに特徴的なネーミングの公園が。雄信内の「雄」や、南の方に行くと「男能富」(だんのっぷ)という町名もありますから、その辺からの連想でしょうか。
 ふと看板を見ると、内陸なのに21km先にある海浜公園の案内が、当然のように掲げられています。
ダンディ公園らへんで見た看板の写真

 東ヘ進んで再び雄信内川を渡り、東雄信内に入って少し進むと、啓徳小学校が見えてきます。1905年に開校し、付近の小学校を統合しながら120年間続いてきた啓徳小学校ですが、今年ついに閉校になります。1947年には同じ場所に啓徳中学校も開校しましたが、そちらは2016年に閉校となってしまったそうです。啓徳小学校の閉校により、天塩町内の小学校はここから直線距離にして15km弱離れた天塩小学校のみとなってしまいます。
啓徳小学校の写真

 駅まで歩いて戻ってきました。本当は下平橋も見に行きたかったのですが、雪の季節で足元が危なっかしいことと、次に乗る列車がもうすぐ来てしまうことから、やむなく断念します。
 もともと雄信内駅東側の線路は現在よりも天塩川に近い場所を通っており、川に沿うように陸橋が設けられていたのですが、雪崩や地滑りなどが相次いだことから1965年に総延長1,256mの下平トンネルが完成、旧線路跡の一部は町道として転用されたのでした。この町道の途中で川に沿うようにして架けられた橋が下平橋です。
 1時間50分の滞在で駅周辺を見て周るのは少々時間にゆとりがありませんでしたが、その次の列車を待とうとすると6時間の滞在になりますから、どちらが良かったのでしょうね……。

返って戻って最北へ

 いったん宗谷本線の上り列車で元来た道を南へ引き返します。雄信内のお隣、糠南駅の駅名標を見ると、後から隣駅を雄信内に書き換えた跡が見られます。糠南の隣が雄信内になったのは2001年、先ほども話に挙げた上雄信内駅が廃止された後ですから、この駅名標は少なくとも2001年よりも前からあるものだと推測できます。そして今春から、雄信内駅ではなく幌延駅が隣駅に変わります。
糠南駅駅名標の写真

 さて、今夜の宿泊地ですが、稚内を予定しています。ですから、どこかで北へ進路を戻さなければなりません。なぜこんなややこしい動き方をしているのかといえば、雄信内で次の稚内方面を待つ時間があまりにも長いので、反対方面に引き返しても同じ稚内方面の列車に乗ることができて、しかもその方がより多くの駅を訪問できるからです。本数の少ない路線では、このような「行って返ってまた戻って」を繰り返すことで、効率的にたくさん駅を巡ることができます。

 どこで降りようか悩んだ末に、咲来(さっくる)で下車しました。なんとも愛らしい名前をしたこの駅の平均乗車人員は0.4人/日で、今春こそ廃止されなかったものの、いつ廃止されてしまうか分かりませんから、この機会に降りることにしました。
※咲来駅の乗車人員はJRの調査資料記載の、2023年までの5年間の特定日調査に基づく乗車人員平均を参照
咲来駅駅名標の写真
 木造駅舎が特徴的だった雄信内駅と違って、こちらは待合室がちょこんとあるだけのこぢんまりとした駅です。
咲来駅待合室の外観の写真
 「咲来」という地名は「sak-ru」(夏・道)から来ていて、古くから夏の時期にオホーツク海の方に出る交通路があったことに由来するそうです。パンケサックル川に沿って傾斜を上がり、咲来峠を越えて、北見幌別川に沿って傾斜を下るルートということなので、現在の道道220号歌登咲来停車場線と道道12号枝幸音威子府線の一部が、その道筋に近いでしょうか。
歌登への案内がある青看板の写真
 音威子府に来たからにはそばを食べたいなと考えながら地図を見ていたところ、咲来そばのお店を発見。ちょうど良いと思って向かってみたのですが……
咲来そばの店の外観の写真
 あれ……?
咲来そば本日休みの張り紙の写真
 本日、お休みらしい……。残念。
 仕方ないので咲来の住宅地をうろちょろしていたら、小学校らしい建物が見えてきました。明治のころに開校し2007年に閉校した咲来小学校で、現在は咲来公民館として使われているようです。
咲来公民館の写真
 駅まで戻ってきましたが、まだ次に乗る列車まで1時間弱もあります。しかしそろそろ足が疲れてきたので、あとは待合室でゆっくりするとしましょうか。宗谷本線名寄~稚内間の輸送密度は252人/(km·日)で、頑張れ宗谷本線と書かれた掲示物がいくつも貼られています。
※宗谷線名寄~稚内間の輸送密度はJRの調査資料記載の、2023年度の輸送密度を参照
頑張れ宗谷本線のステッカーの写真
頑張れ宗谷本線の貼り紙の写真1
頑張れ宗谷本線の貼り紙の写真2
 音威子府村の広報誌が置いてあるので、これを読みながら次の列車を待ちます。広報誌では、村内唯一の小中学校である音威子府小中学校での教育活動についてよく取り上げられている印象を受けました。

 稚内へ向かう宗谷本線の列車に乗って、ついにこの列車で最北を目指します。
 乗ってから一駅ですが、この列車はなんと音威子府でおよそ1時間も停車します。つまり、途中下車しない手はありませんね。
音威子府駅の外観の写真1
音威子府駅の外観の写真2
 2024年の住民基本台帳によれば、音威子府村の人口は636人で、北海道で最も人口の少ない市町村です。村内に所在するおといねっぷ美術工芸高等学校が村外の高校生も受け入れており、その生徒が寮に入ることもあるため、15歳~19歳が120人と突出して多くなっています。しかしそのほとんどが卒業後は村外に転出してしまうため、20歳~24歳の人口は19人と激減してしまいます。このことを問題視して、どうしたら高校生を村に引きとどめられるか考えよう、みたいな話し合いもさきほど咲来駅で見た広報誌に載っていた気がします。
 駅を出てみるとバスが2台停まっていました。
音威子府にてデマンドバスの写真
音威子府にて都市間バスの写真
旧天北線沿線などの自治体の地図
 音威子府駅は、1989年まで浜頓別を経て南稚内へ至る天北線が発着する交通の要衝でした。これが廃線になった後は宗谷バスが代替バスを運行していましたが、2011年からは鬼志別~声問が内陸経由から北海道本島最北の宗谷岬経由に変更され、2023年に音威子府~浜頓別がデマンドバスに転換されました。もう1台は宗谷バスの都市間バスで、札幌または旭川から音威子府を通って小頓別、歌登を経て枝幸までを結ぶ特急えさし号と、旭川から音威子府を通って中頓別、浜頓別に停まって鬼志別へ至る特急天北号がここに来ます。
 駅の周りをふらふら歩き回ります。音威子府村役場の前まで行ってきました。
音威子府村役場の写真
 駅のすぐ近くには道の駅おといねっぷがあります。時間がないので外観を見るだけしかできません。
道の駅おといねっぷの写真
 音威子府駅に戻ってきました。今度こそ、宗谷本線で最北を目指します。

 ついに最北稚内に着きました。
稚内駅駅名標の写真
「日本最北端 稚内驛」の看板の写真
「日本最北端の駅」の標柱の写真
 宗谷本線は、起点のある旭川市街にしか乗換駅がない、孤高の路線の終点です。
稚内駅の線路が途切れるところの写真
 ホーム上には、稚内駅から諸々の駅までの距離が掲げられています。東京駅までは鉄道で1,547.9kmであるのに対して、鉄路における北海道の玄関口こと函館まではそのおよそ半分、道都・札幌まではおよそ4分の1、道北の中心地である旭川まではおよそ6分の1に相当する距離があるそうで、改めて北海道デカすぎないか!? を感じさせられます。
「東京駅より1,547.9km」の表示板の写真
「函館駅より703.3km」の表示板の写真
「札幌駅より396.2km」の表示板の写真
「旭川駅より259.4km」の表示板の写真
 最南端のJR通過自治体の代表駅である指宿駅、最南端のJR駅である西大山駅、最南端のJR路線の終着駅である枕崎駅までの距離は東京駅までの距離のほぼ2倍で、東京が本土四島の真ん中らへんにあることが確認できます。
「指宿駅より3,057.4km」の表示板の写真
「西大山駅より3,068.4km」の表示板の写真
「枕崎駅より3,099.5km」の表示板の写真
 本土四島の最南端の鉄道路線はJR指宿枕崎線ですが、こちらも起点のある鹿児島市街の他に乗換駅が一つもない孤高の路線で、その指宿枕崎線の終点がある枕崎市は稚内市と友好都市を締結しています。そのほか、日本最北端の市である稚内市は、日本最南端の市である石垣市とも友好都市を締結しています。
「北と南の始発・終着駅」の看板の写真
 駅舎はキタカラという複合施設になっていて、道の駅わっかないなどが併設されています。
稚内駅外観の写真

 本日最後の移動、宗谷本線で一駅戻って南稚内に来ました。
南稚内駅の案内板の写真
 1922年の開業当初はこちらが稚内駅で、場所も1kmほど北西寄りの位置に頭端式のホームを構える駅でした。1928年には現在の稚内駅にあたる稚内港駅が開業しましたが、そこへ向かう線路は初代稚内駅(現・南稚内駅)から少し手前に戻って分岐する形をとっていました。その後1939年に両駅が現在の駅名へと改称され、1952年に南稚内駅が現在の位置に移されました。
 夕飯で何を食べようかと調べていたところ、地元のソウルフードでチャーメンなるものがあるらしいと分かったので、食べにきました。私が食べたチャーメンはイカ、エビ、ホタテの入った海鮮あんかけ焼きそばに似た食べ物で、餡がよく絡んで美味しいです。
チャーメンの写真

次 回 予 告 !
3日目は、「行って返ってまた戻って」作戦で、今春廃止される南幌延抜海を回収した後、札幌へ向かいます。そして4日目、ついに道東へ向けて動き始める――

2025春の廃止駅ぜんぶ降りる北海道旅行記
その1:新千歳空港→東滝川→旭川
その2(本記事):旭川→雄信内→南稚内
その3:coming soon...
その4:coming soon...
太字はこの旅行の目的地=今春に廃止される駅


その2 おわりに
雄信内は個人的に大好きな駅名で、私が地名に興味を持つようになったきっかけ、ひいては地理に興味を持つようになったきっかけとなった地名の一つです。今回の旅行を計画したのも、もとはと言えば雄信内駅が無くなる前に訪問しなかったらきっと後悔すると思ったからで、もちろん他の訪問先のいずれも魅力的な場所ですが、私の中では今日が一番の目玉でした。そのためつい喋りすぎてしまいましたが、3日目以降はもうちょっと短くなると思われます。ここまで長文を読んでいただきありがとうございました。
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 羽田空港から飛行機に乗ることおよそ1時間半、北海道は新千歳空港にやってきました。2025年春のダイヤ改正で廃止される駅を巡る、6泊7日の旅行の幕開けです。
乗ってきた飛行機の写真
 旅行記その1となる本記事では、1日目について書いていきます。
2025春の廃止駅ぜんぶ降りる北海道旅行記
その1(本記事):新千歳空港→東滝川→旭川
その2:旭川→雄信内→南稚内
その3:coming soon...
その4:coming soon...
太字はこの旅行の目的地=今春に廃止される駅


 この記事で移動するルートはこんな感じです。
その1で訪れる主な場所の地図

 今回の旅行では、「北海道&東日本パス」を使います。JR北海道、JR東日本、青い森鉄道、IGRいわて銀河鉄道、北越急行の普通列車に連続7日間乗り放題で、11,330円という破格の値段設定。特例の区間を除いて特急列車は使えませんが、私のような地名大好き人間からしたらむしろ、駅にたくさん停まってくれる普通列車の方が嬉しいものです。そんな訳で、新千歳空港駅できっぷを購入し、さっそく移動を始めていきます。



寄り道しながら北へ進む

 まずは千歳線で札幌へ向かいます。冬の北海道に降り立つということで余裕のある旅程を組んでいたのですが、ありがたいことに天気が荒れることもなく、飛行機は概ね予定通りの時間で飛んでくれたので、時間が余っています。なので途中下車をしながら進みましょう。
 エスコンフィールドで話題の北広島で降りてみます。
北広島駅コンコースの写真
 駅から出てみると、つくば駅前にもある商業施設、トナリエが目に入りました。3月15日にオープン予定とのことで、準備が進められています。
トナリエ北広島の写真
 北広島市といえば1996年に広島町が市制施行して即日改称したことで誕生した市ですが、北広島駅の方は1926年に北海道鉄道の駅として開業した当時からこの名前だったそう。この地名は、1884年に広島県人が入植したことに由来する「広島」村まで遡ることができ、駅名や市名は既存のものと被るのを避けて頭に「北」を付けたようです。

 続いて再び千歳線に乗って札幌へ、そして函館本線に乗り換えて旭川方面へ向かいます。まだ時間が余っているので、途中の野幌(のっぽろ)で途中下車。
野幌駅外観の写真
 野幌駅は札幌市から続く江別市の市街地にあり、1975年までは夕張鉄道の起点駅として石炭や人間を輸送する拠点としても機能していた、そんな駅です。江別市の代表駅である江別駅は乗降客数が5,770人/日であるのに対して、野幌駅は10,198人/日と大幅に多く、同市内では大麻(おおあさ)駅の10,768人/日とともに利用者数トップ2となっています。江別市内にはいま挙げた3駅の他に、市役所の最寄駅である高砂駅と、千歳川や夕張川を越えた先にある唯一の無人駅の豊幌駅もありますが、それら含めて5駅とも特急に乗ったら停まらない駅です。
※江別市内3駅の乗降客数は国土数値情報(駅別乗降客数データ)(国土交通省)を参照
江別市内の鉄道路線図 札幌から近い順に大麻(おおあさ)駅、野幌駅、高砂駅、江別駅、豊幌駅
 江別市はレンガの生産が有名なんだそうで、レンガ製造に用いられた登り窯を模したモニュメントが駅前に置かれています。説明の看板も設置されているのですが、積もった雪で隠れてしまって4分の1くらい読めなくなっていました。
登り窯紹介看板の写真
登り窯のモニュメントの写真

東滝川を訪問

 引き続き函館本線に乗って、滝川まで北上します。隣が東滝川である駅名標も今春までしか見られません。
滝川駅駅名標の写真①
滝川駅駅名標の写真②

 根室本線に乗り換えて一駅だけ進むと、最初の目的地、東滝川に到着です。私のほかにもう1人降りましたが、同業者なのか地元の方なのかは分かりません。
東滝川駅駅名標の写真
東滝川駅外観の写真
 東滝川駅は1913年に国鉄の幌倉駅として開業し、戦後に当時の滝川町が行った町字名再編に合わせて1954年に現在の駅名へと改称されました。改称前の駅名は隣の赤平市を流れる幌倉川に由来し、空知川沿いで幌倉川が合流する場所よりも下流に位置するこの駅周辺は、町字名が再編されるまで「下幌倉」と呼ばれていたそう。「幌倉」の由来についてはアイヌ語の「poro-ku-rar」(大きい・弓を・置く)とする説があり、駅舎内に貼ってあった掲示物の中にも、河野敏明氏のフットパス・マップの記述から引用して「『ホロ』は『大きい』、『ク』は『弓』のこと」と紹介しているものがありました。
「ほろくら驛」の看板の写真
 因みに「滝川」の方の由来は「so-rapci-pet」(滝が・ごちゃごちゃ落ちている・川)の意訳と考えられており、この「so-rapci」(滝が・ごちゃごちゃ落ちている)に漢字をあてた地名が「空知」なんだとか。
 駅前の道をまっすぐ300m弱歩くと、滝川市と釧路市を結ぶ国道38号に出ます。ここまでに郵便局や駐在所、セコマなどが見られました。駅の周りにはそこそこ家々が建っているように思うのですが、平均乗車人員が1.8人/日と少ないのは、わざわざ列車を待たずとも、自動車があれば20分と掛からない時間で滝川市街まで行くことができることが、大きな要因として挙げられそうです。
※東滝川駅の乗車人員はJRの調査資料記載の、2023年までの5年間の特定日調査に基づく乗車人員平均を参照
東滝川郵便局の写真
滝川警察署東滝川駐在所の写真
東滝川駅前の写真
 国道沿いを見渡すと、北海道中央バスの東滝川バス停があります。滝川駅と芦別駅を結ぶ滝芦線と、札幌駅と富良野駅を結ぶ高速ふらの号が通っているようで、どちらもJRと競合していそうです。根室本線が1日に9往復であるのに対して、滝芦線は平日なら1日に13往復、土日祝なら1日に7往復であり、平日は路線バスの方が多く走っています。ただし、1日の最終便は鉄道の方が遅い時間に来ます。また、路線バスで滝川駅前まで乗車した場合の運賃は410円であり、鉄道を利用した場合の290円よりも高くなるようです。
東滝川バス停の写真
 ふらふらと歩いていたところ、既に廃校になったらしい小学校にたどり着きました。2011年度末に閉校した市立東栄小学校のようです。閉校後は滝川市街地の東部、ここから5.5kmほど離れた市立東小学校と統合して、この辺りは東小学校の学区になっているそう。
 東滝川駅に戻ってきました。駅としては今年の春まででその役目を終えるこの駅ですが、それ以降は信号場として存在し続けるそうです。

予定を変えつつ初日は終了

 そろそろ滝川方面の列車が来るのでホームに出て列車を待っていたのですが、ここで私、やらかしました。東滝川駅の構造って写真のように上りと下りが別のホームになっているんですけど、着いたのと同じホームの反対側に来るものと勘違いしていまして……、滝川まで戻る列車を逃してしまいました……。
東滝川駅の構造を表す図
 うっかりしてしまったものは仕方ありません。次の滝川方面の列車は2時間半後、それまで待ってもいいのですが、あと30分待てば反対方面の列車が来ます。ということは、根室本線で富良野方面に何駅か進んで引き返すこともできそうです。ちょうど一駅隣が赤平市の代表駅ですから、行ってみましょう。

 ということで、来ました。赤平です。列車内は、芦別や富良野に向かう旅行客でしょうか、大荷物を持った利用者でかなり席が埋まっていました。赤平駅は駅舎に交流センターを併設しているようで、そこそこ立派な建物。しかし土日祝は駅業務をお休みしているようで、運転手さんにきっぷを見せて列車を降りました。
赤平駅外観の写真①
赤平駅外観の写真②
 駅前には北海道中央バスの赤平駅前バス停が。先ほど見た東滝川バス停を通る2路線のほか、滝川駅から歌志内市街を通って赤平市街へ至る歌志内線が通っているようです。
赤平駅前バス停の写真
 待ち時間が40分弱あるので、赤平市役所まで往復してきます。
赤平市役所の写真
 ちょうど良いくらいの時間に赤平駅まで戻ってきました。今度こそ乗り場をちゃんと確認して列車に乗り込みます。2024年に富良野~新得が廃止されたことで分断された根室本線の、根室を含まない方の片割れに乗って、滝川へ向かいます。

 滝川函館本線旭川行に乗り換えて、終点まで向かいます。旭川に着く頃にはすっかり日が暮れてしまいました。もっと明るい時間には着く予定だったんですけどね、駅前の平和通買物公園のイルミネーションがきれいな時間になってしまいました。まあ今日中に着いたので良いでしょう。それにしても、流石は道内で二番目に多い人口を抱える都市だけあって、人が多いですね。
旭川駅外観の写真
平和通買物公園の写真
 今日の移動はここまで、ホテルに荷物を置いて夕飯を食べに行きます。旭川醤油ラーメンをいただきました。
旭川醤油ラーメンの写真

次回予告!
北海道旅行2日目となる明日は、宗谷本線にしか乗りません。道北を行ったり来たり、歩き回ったりしつつ、最北を目指します。

2025春の廃止駅ぜんぶ降りる北海道旅行記
その1(本記事):新千歳空港→東滝川→旭川
その2:旭川→雄信内→南稚内
その3:coming soon...
その4:coming soon...
太字はこの旅行の目的地=今春に廃止される駅
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